東日本大震災(だいしんさい) 万石(まんごく)浦(うら)の種(たね)ガキ、生(い)き残(のこ)っていた…宮城(みやぎ)

* 毎日新聞五月十六日(月)十三時七分配信(はいしん)

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http://i.yimg.jp/images/kids/clear.gif 東日本大震災(だいしんさい)で壊滅的(かいめつてき)被害(ひがい)を受(う)けた宮城県(みやぎけん)沿岸部(えんがんぶ)のカキ養殖業(ようしょくぎょう)が、再起(さいき)への歩みを始(はじ)めた。全国(ぜんこく)のカキ産地(さんち)に種(たね)ガキを送(おく)り、フランスのカキ危機(きき)も救(すく)った石巻市(いしのまきし)の内湾(ないわん)、万石(まんごく)浦(うら)の種(たね)ガキ(稚貝(ちがい))が生(い)き残(のこ)っていたのだ。これをもとに、今夏から養殖業(ようしょくぎょう)に欠(か)かせない種(たね)ガキ育成(いくせい)が行われる。

 「種(たね)が死滅(しめつ)したら終(お)わりだった。ここであきらめちゃ駄目(だめ)だってことだろう」。宮城県(みやぎけん)漁業(ぎょぎょう)協同組合(きょうどうくみあい)石巻(いしのまき)地区(ちく)支所(ししょ)の亀山(かめやま)豪紀(ひでとし)支所(ししょ)長(四十六)は言う。同支所(ししょ)では7支部(しぶ)のうち、牡鹿(おじか)半島(はんとう)西南部(せいなんぶ)などの六支部(しぶ)でカキ養殖場(ようしょくじょう)が全滅(ぜんめつ)。被害(ひがい)は受(う)けたものの何とか残(のこ)ったのは万石(まんごく)浦(うら)内の沢田(さわだ)支部(しぶ)だけだった。

 沢田(さわだ)地区(ちく)のカキ養殖業(ようしょくぎょう)、斉藤(さいとう)晃(あきら)悦(えつ)さん(68)方ではホタテの貝殻(かいがら)に種(たね)ガキを植(う)え付(つ)けた七十二枚(まい)セットの「ホタテ原盤(げんばん)」三千本のうち約半数(やくはんすう)が生(い)き残(のこ)った。これから母貝に成長(せいちょう)させ、七~八月に放卵(ほうらん)する幼生(ようせい)を原盤(げんばん)に付着(ふちゃく)させて種(たね)ガキに育(そだ)てる。

 亀山(かめやま)支所(ししょ)長は「全滅(ぜんめつ)した漁業者(ぎょぎょうしゃ)に種(たね)を届(とど)けるためには(放卵(ほうらん)期(き)の)この夏が勝負(しょうぶ)。ここから再出発(さいしゅっぱつ)だ」と語る。

 山の滋養(じよう)をたたえた天然(てんねん)の汽水域(きすいいき)である万石(まんごく)浦(うら)は、世界(せかい)のカキ王と呼(よ)ばれた沖縄(おきなわ)出身(しゅっしん)の実業家(じつぎょうか)、宮城(みやぎ)新昌(しんしょう)氏(し)(一八八四~一九六七)が最適地(さいてきち)として選(えら)んだカキ養殖(ようしょく)発祥(はっしょう)の地。種(たね)ガキは米国の西海岸(にしかいがん)に盛(さか)んに輸出(ゆしゅつ)され、1960年代(ねんだい)にフランスでカキの病気(びょうき)が広がった際(さい)には“渡仏(とふつ)”もした。

 フィリップ・フォール駐日(ちゅうにち)仏(ぼとけ)大使(たいし)は「フランスのカキを救(すく)ってくれた万石(まんごく)浦(うら)のカキが生(い)き残(のこ)り、大変(たいへん)喜(よろこ)んでいます。再生(さいせい)への取(と)り組(く)みには困難(こんなん)もあるかと思いますが、フランス人の大好物(だいこうぶつ)でもある最高(さいこう)のカキを育(そだ)てていただきたい」と、再起(さいき)を図(はか)る漁業者(ぎょぎょうしゃ)にエールを送(おく)っている。【高橋(たかはし)宗男(むねお)】