私は、燕市議会議場での、国旗と市旗の掲揚を求める請願に、賛成の立場で討論致します。

 

初めて議場に入場した際、議場正面に国旗と市旗がないことに、とても違和感がありました。

市民の生活にかかる、重要事項を議論し決定する、この厳粛な議場において、国の象徴としての国旗と、燕市の象徴としての市旗を、掲揚し仰ぎ見ることは、私たちは日本国民の一員であり、また市民の代表であることを意識する契機となり、国及び市民に見立てられた、国旗と市旗の面前において行う議会運営は、常に市民の存在を意識させ、市民の利益を最大限に考慮し、公明正大なものでなければならないという責務を、より強く、認識させることになるのではないでしょうか。

 

 

 

現在、公の式典や教育現場、さらに、各種市民大会の開会式等において、国旗としての「日の丸」の掲揚は、世間一般に広く行われており、一般的に、これらの式典における、ごく自然な、儀礼的振る舞いであると認識されています。

 

一方、国際社会においては、他国の国旗に対する敬意の表明は、国際常識、国際マナーとされ、これに反するような行動は、国際的儀礼の上で、好ましいこととは言えません。

益々国際化が進む今日こそ、平和的な国家及び社会の形成者としての自覚と、自国の伝統や文化に対する正しい理解を持ち、他国を尊重し、国際社会の、平和と発展に貢献することが、求められます。

そして、他国の国旗に対して、敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、自国の国旗や市旗に対する敬意が、先ずは必要ではないでしょうか。

 

国や自治体に意識を向ける手段としては、国旗や市旗ばかりでなく、様々なものが考えられるとは思いますが、国旗や市旗は、国や市を象徴するものとして、直截で分かりやすく、世間一般に、ごく自然に扱われていることから考えても、国や自治体を意識できるものとして、国旗市旗を掲揚することは、ことさら理由を必要とするものではないと考えます。

 

しかしながら、日本の国旗については,かねてより国民の間に少なからぬ議論があるところであり、日本の国旗に否定的な意見の多くは、「日の丸」が戦前の軍国主義等との関係で、一定の役割を果たしたとするものであります。

それらの意見によれば、「日の丸」は、過去の、ある時期の日本のありようを想起させ、また、同じ過ちに駆り立てることを危惧する、ということであろうと考えます。

 

然るに、現在の日本は、政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を掲げており、また、そのように目指すというのが、その後の、そしてこれからの、国のありようであり、その理想の国家を想起させるのもまた、過去の日本を想起させる「日の丸」であるともいえるのではないでしょうか。

 

私たちは、日本の歴史の正と負の部分を、何のわだかまりももたず、素直な気持ちで直視することで、自らと祖国を、愛し誇れる未来へ向けて、大きな一歩を踏み出すことになるのです。

 

以上、燕市議会議場での、国旗市旗の掲揚を求める請願に賛意を表すと共に、全議員のご賛同を心からお願い申し上げ、賛成の討論を終わります。